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その他「パイロットの話(身体検査編) PART2」

2018年7月17日

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 ニュースレター No.87 (山西様/SCD2国内分科会フェロー)   (テーマ:「その他」)
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異様な風貌6人のランチも終わりその頃には瞳孔も正常に戻りつつあるようでした。サングラスをはずし、精神検査に臨みました。(この試験はクレペリン試験、そしてロールシャッハ試験というもので、最後に精神科医による問診が行われることになっていました)皆様はクレペリン試験というものを受けたことがあるでしょうか。30分間、ただひたすら、一桁の足し算を繰り返すものです。数字がただただ続いている試験用紙にその答えを書いていくのです。たとえるなら、ランダムに続く数列を円周率とすると、書かれているその数字 (3.142…)の連続する2つの数字3+1の答え4を記入、次はその4に次の数字1を足して答えは5、次はその5に4を足して9、といった具合です。10を超えると下一桁だけ記入するというとても単純な作業でした。この作業をできるだけ早く、30分間でどこまで続けられるか、という検査です。私は鉛筆を握りしめ開始の合図を待ちましたが、大学で数学を専攻していたこともあり根拠のない自信を持っていました。となりにはあの森田くんが座っています。森田くんはこの検査のことを知っていたようでした。そして下馬表一位の浅利君も落ち着き払った態度だったので彼もまた準備ができていたのでしょう。
 
 開始の合図の声が聞こえました。私はできる限りのスピードでその計算を行い、答えを次々と書いていき、調子は悪くありませんでした。となりの森田くんや浅利くんよりも早いペースだったと思います。(答えを見たわけではないのでカンニングではありません。念のため)ところが、だんだんと計算ができなくなってくるのです。単純な足し算も100回200回と繰り返すうちに混乱してきて頭が回らなくなってきました。おまけに手が汗ばんで鉛筆が滑るようになってきてもいました。私はその鉛筆を握り直しながら、誤記を繰り返し、苛立ち、計算のペースが明らかに乱れてきていることに焦りを覚えていました。一方、そうこうしているうちに森田くんのペースが俄然上がってきているように見えました。
 
 最初全力で飛ばした私は中盤あたりからペースが鈍りました。もう自分でも何を計算しているのかもわからないほどでした。もう限界だと思い始めた時点で少し休憩時間が与えられました。15分で一旦ブレイクを挟むようです。ここで計算用紙を取り替えて鉛筆を握りしめていた右手のひらをもみほぐし終わり、しばし時間が経過したあと試験は非情にも再開されました。残り15分、ここからが地獄でした。計算していたつもりでも脳が機能せず、明らかに計算間違いも多かったでしょう。30分近くも単純計算を全速力で繰り返すと精神が爆発しそうな感覚にもとらわれました。森田、浅利の両氏はさすが冷静です。私よりもはるか先を行っていました。そしてボロボロの精神状態で30分の終了合図を迎え、自分の精神力の弱さを痛感している私に、終了後の休憩時間に例の二人はこう言ったのです。
「この試験は前半より後半のペースを重視するんだよ」
「ペースや計算の正確性が前半と後半で一定なのが良い評価なんだよ」
早く言ってくれ!と私は心の中で叫んだものです。私は先行逃げ切りの戦法で臨んだのですが、その戦略そのものが低評価だったのです。最初の数分で体力と脳力を消耗してしまった私を尻目にあの二人は最後まで冷静に、一定のペースでやりきったのです。そして結果としても計算量も彼らの方が私を明らかに上回っていました。やはり私とはレベルが違ったのです。
 
 そんな精神的疲労がピークになったところで、次はロールシャッハ試験です。白い色紙に意味のなさそうな黒いシミのようなものが描かれている絵を見せられ、これが一体何に見えるか、という検査でした。私はそれが黒いコウモリに見えて仕方がなかったのですが、この試験の意図を深読みした結果、これをコウモリと答えてしまうと暗いイメージとなる気がして、とっさに「日傘」と答えることにしました。少なからず、太陽をイメージした自分をアピールしたかったのです。正解のない試験ということなのだと思いますがいまだになんと答えるのがよかったのか不思議に思うことがあります。ちなみに森田くんは世界地図、と答えたようです。なんとまぁパイロットらしい答えだ、と感心しきりでした。この検査は先にも述べたように、誰かを不合格にするものではありませんでしたが、彼らとはどんどん差が広がってきていることは明らかでした。そのほかにも同じように無意味にインクをこぼしたような絵柄をいくつも見せられ、その度に、太陽や空、ポジティブなイメージを持って答えるように努めました。そのわざとらしさは逆にマイナス評価だったのではないかと今では思えるほどだったと思います。
 
 そして最後に精神科医師の問診が行われたのですが、志望動機や、就職活動全般に関する話題、私の場合は大学を長く通っているのでその理由などを聞かれるなど、質問内容がどうにも精神科関連のものとは思えませんでした。おまけに、最後に総括として
「パイロットになりたい志望動機はわかったが、ウチの会社を志望する理由をもっとアピールしてくれた方がうれしいなぁ」
とのアドバイス、という締めくくり方からも考えて、問診という形をした最終面接なのではないかと妙に勘ぐってしまったことを覚えています。医師の風貌もなんだかビジネスマンのそれに近かったこともその疑いに拍車をかけていました。そんなことを考えているうちに、その問診をもって全検査が終了しました。
 
 すでに夕方頃になっていましたが、待合室で解散前にお互いの健闘と検査結果についての手応えについて話しあいました。私は血圧検査、遠近視力、クレペリン、そして最後の精神科問診(あるいは面接?)と、あらゆるところで大小の差こそあれ、ミスを犯してしまっていました。一方で、あの二人が自信満々といった様相だったことからも考えて、私はふと、多分、森田くん、浅利くんと会うのもこれで最後になるだろうな、と思いながら帰阪の途についたのです。
 
 前回の適性検査もどん底の手応えではありましたが結果的には合格したこともあり、今回も同様の結果となることに一縷の望みを託し、合格発表の日を待っていました。
 
 その日、私はアルバイトを休んで電話を待っていました。指定日の16時〜18時の間、電話は合格者にのみ行われ、電話がない者は不合格という仕組みでした。私は17時30分を過ぎても一向に鳴らない電話を見つめながら、この半年ずっとパイロットになれるものと信じていた気持ちがまさに砂上の楼閣のごとく、少しずつ絶望の波に削り取られていくのを感じていました。日が暮れかけていたでしょうか、とうとう18時を迎え、私の不合格は確定したのです。
 
 その晩、私は休んだはずのアルバイト先(レストランバー)に出向き、スタッフに事情を説明した後、客として浴びるほど酒をのみ夜を明かしたものです。その日からしばらくは立ち直れないでいましたが、あらゆる側面から当時の私ではとてもパイロットになれたとは思えず、ただ、その後の人生に良き示唆を与えてくれたことに感謝しよう、といつからか思うようになっていました。
 
 前作にも書きましたが、自身のそれよりも先の二人が無事合格し、私の夢を託すように今頃機長として世界中の空を飛び回っていてくれたらと願っています。私には足りなかったものを持ち合わせいたあの二人なら、と。
 
 そんな経験から早20年ほど経ちましたが、今こうして書いてみると驚くほど鮮明に記憶していることに改めて驚いています。
 
 皆様、もし空港で初々しいリクルートスーツに不似合いなサングラスをかけた若者のグループがランチタイムに空港内を彷徨いているのを見かけたら、
「なるほど」
と思い、心の中で応援の言葉をかけてあげていただけたら幸いです。


(文責: 山西/CIGRE SCD2 事務局)