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一度はいくべき海外都市「モンサンミッシェル(と岩山)」

2017年3月21日


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┃ ■  ニュースレター No.65(山西様/SCD2国内分科会フェロー)
┃    (テーマ:一度はいくべき海外都市)
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モンサンミッシェル(と岩山)
 CD2国内分科会フェローの山西でございます。何を隠そうこの私、英語や海外につい
て偉そうに宣わっている身でありながら、海外への渡航はCIGREを含む海外出張がその
ほぼ全てを占めております。そんな私がおすすめ海外都市を語るにあたり、フランス
を避けて通ることは決してできるものではなく、頭をかきながら回想したエピソード
の中から、超有名観光スポットであるモンサンミッシェルについて改めて想いを馳せ、
敢えて筆を走らせた次第でございます。すでにどなたかこの世界的修道院についてご
紹介をされたかも知れず恐る恐るではありますが、本稿はモンサンミッシェルそのも
のではなく、その付近に焦点を当てたサイドストーリーとして捉えていただければ幸
いでございます。時は2006年8月まで遡り、初めて参加いたしましたCIGREパリ大会日
程に加える形で取得した休暇日の出来事です。なお、内容は実話に基づいております
が、登場人物のプライバシーに配慮し仮名であることご容赦ください。
 例によって臨場感を味わっていただきたく、ストーリーは口語体にてお送りいたし
ます。

 僕と柿崎は当時フランス初心者だったこともあり、この出張が決まった時に真っ先
にモンサンミッシェルへの訪問について思いついた。世界に名だたる、満潮時には海
に浮かぶとも表現されるこの修道院は世界遺産に登録されている。僕達はその流麗な
姿を直接見るために、それも、もっとも神秘的なたたずまいを見せるであろう夜明け
の時間帯での訪問を計画し、前夜のうちに最寄駅であるレンヌに入ることにしたのだ
った。僕達はパリ、シャルルドゴール空港に到着した足でそのままモンパルナス駅へ
移動し、TGVに乗り込んだ。パリ市街地を早々と抜け、のどかな田園地帯が車窓に
流れていくのを、僕は駅のホームで買った小さなアップルケーキとエスプレッソを楽
しみながら見ていたことを覚えている。そして、TGVが出発して五分もたたないう
ちに柿崎が僕の隣の席ですでによだれを垂らしながら深い眠りに落ちていたことも思
い出深い。(彼は翌日、レンヌからモンサンミッシェルまでのバスの中でも同じ有様
だった)そんな状況だったので、僕は防犯上の理由もあり寝ずに起きていることにし
たのだった。こういう場合、寝るのは早い者勝ちだということは世の常だし、僕は元
々寝付きがあまり良くないこともあり、フライトの疲れを居眠りで癒すことはこの時
点であきらめ、その代わりといっては何だが、この風景を楽しむことにしたのだ。た
だそれだけでは時間を持て余してしまったので、荷物の防犯には十分留意しながらも
時々車内を見て回った。
 僕達は一等車両(日本の新幹線でいうところのグリーン車)のチケットを買ってい
たので、席はとても快適だった。ゆとりのある席がならび、窓際にはスターバックス
のカウンターにあるようなランプが下がっている。車両にもよるが、いくつかはクリ
スチャン・ラクロワがデザインしたものだそうだ。道理で雰囲気がいいはずだ。
 ところで、相変わらず隣の柿崎は意識不明の状態で、時差ぼけを絵に描いたような
男だとむしろ感心してしまったほどだ。そして二十一時三十分頃。そろそろ到着の時
間が近づいてきた。車内アナウンスがフランス語だったので何をいっているのかわか
らなかったが、時刻から考えて多分レンヌなのだろう。柿崎が目を覚ます様子は微塵
も感じられなかったので、僕は一瞬いたずら心からこのまま置いていこうかと思った
が、さすがに少しかわいそうな気がして、彼を起こすことにした。(繰り返すが、や
はり先に寝た者勝ちなのである)
 さて、TGVを下車し、駅からレンヌの街へ出てみると、駅前こそネオンがあるが、田
舎町という印象はぬぐえない街並みだった。僕達は駅前のレストランで夕食を取って
からホテルにチェックインすることにした。そのレストランでは英語のメニューがな
く、また店員にも英語ができる人間がごく一部だけだったので、オーダー一つとって
みてもとても苦労した。こういった不便さがパリ市街地とは明らかに異なる点であろ
う。僕はメニューから適当なものを注文したのだが、それが、僕が初めて食べるガレ
ット(そば粉のクレープ)だった。注文したマッシュルーム入りガレットを一口食べ
てみたのだが少しくせのある味に感じ、お世辞にもおいしいとは言えなかった。とこ
ろが二口目以降、徐々においしく感じられるようになってきたのだ。僕は、この味覚
の変化を、舌がフランス化していくような、そんな感覚として捉えたものだ。そして、
ワインと鳥料理を追加し、パリでの初ディナーは終了した。事前に調査もせず、ふら
りと入っただけのカフェで食べた料理だったが、僕はこの国のフランス料理というも
ののレベルの高さに驚いたものだ。いつも行っているアメリカではこうはいくまい。
ある程度レストランの情報や評判は下調べしておかないといつも後悔することになる。
 僕と柿崎はホテルでチェックイン を済ませると、明日の早朝出発に備え、もう外出
は控えて早く寝ることにした。翌日早朝五時にホテルロビーで待ち合わせることにし
て、部屋に向かおうとしたのだが、ふと、翌日のモンサンミッシェル行きのバスの時
間を聞いておこうと思い立ち、歩きかけた脚を止めてフロントに戻った。いくら日の
出が遅いフランスでも、夜明けを見るためには遅くとも六時までのバスには乗らない
と間に合わないだろうと思ったからだ。レンヌからモンサンミッシェルまでは一時間
程度要するはずなのだから。
 僕と柿崎はホテルのフロントで、
「モンサンミッシェル行きのバスは何時ですか?」
と聞いた。
「少々お待ちください。」
何かしら調べるそぶりを見せたが、その後、
「申し訳ありませんが、よくわかりません」とホテルマンは答えた。
そして、続けて、
「少なくとも、八時まではないと思いますよ」
僕達はあっけにとられてしまったが、その後事情を聞いて納得した。
明日は日曜日なのだ。

 僕の頭の中では、夜明けのモンサンミッシェルが、その朝焼けのベールを太陽に剥
ぎとられるようなシーンが浮び絶望感に打ちひしがれたが、とりあえず他に打つ手も
ないので、シャワーを浴びて寝ることにした。
 安ホテルらしい硬いスプリングのベッドに入ったのだが、僕はこれくらいの硬さが
逆に好きで、これなら寝付きの悪い僕でもすぐに寝られるだろうと思っているうちに
早々と眠りに落ちていた。やはり長旅の疲れもあったのだろう。
 午前四時半におきて、手早く身支度を整え、チェックアウトを済ませた。そしても
う一度バスの時間を確認すると、やはり、早朝のバスはなく、始発は午前九時半とい
うことだった。ホテル側の好意で、チェックアウト後ではあったが、部屋の鍵を返し
てくれてその時間までの滞在を許してくれた。僕は自室で、無理だとわかっていなが
ら、夜よ明けるなと願いながら、恨めしそうにホテルの窓越しにまだ暗い街の風景を
眺めていた。
 レンヌの空がだんだんと白んできた。僕達の計画は事前調査不足によりこうして失
敗したのだが、朝焼けは失っても、それでもやはり見に行かないわけにはいかないと
いうことで、午前七時頃だっただろうか、まだほとんど人がいないレンヌ駅前で長距
離バスの始発場所を探した。駅前に着くと、その駅に隣り合うビルの裏にバス停留所
を発見したのだが、予想通り、バスはおろか、人、猫、鳥さえ見当たらず、薄暗く、
閑散としたアスファルトにバスの駐車スペースが十台分区画されているのが見えるだ
けだった。そこにあるバス案内の電光掲示板には電気すら入っていない。
 僕達は場所を確認できただけも良かったと自らを慰め、時間をつぶすため近くのカ
フェで一時間ほど過ごした後その場所に戻ると電光掲示板に電源が入っており、「モ
ンサンミッシェル:九時三〇分」という案内表示が現れていた。
 時間が確認できたことで安心した僕達は、早朝から開いているレンヌ駅中のブラッ
スリーに入り、コーヒーとちょっとした食べ物を取りながら、出発時間まで談笑した
後、ようやくバスに乗り込むことができたのだ。
 ほどなくしてバスは出発したのでが、先にふれたとおり柿崎は間髪置かずに深い眠
りに落ちていた。(本人は常にこれをお祈りと呼んでいる) 僕もまたTGVの時と同じ
ように、外の景色を見ながら時間を過ごしていた。
五〇分位走った位だったろうか、突然他の乗客の歓声がバスの車内に響き渡った。は
っと正面を向くと、一部の乗客がフロントガラス越しに見える小さな山のような建物
を指差しているのがわかった。

モンサンミッシェル。

 バスは舗装されていない駐車場と思しき場所に停車した。僕と寝起きの柿崎はバス
を降りて頭上を仰いだ。太陽は輝き、ぬけるような青空だった。そして風は心地よく、
潮が引いた後に残る海のかすかなにおいを運んでいた。
 圧倒的な存在感でそびえるモンサンミッシェルを前に深呼吸。僕は自分の思考モー
ドを切り替えて、脳と心をスポンジにし、感じるすべてを吸い込むべく、モンサンミ
ッシェルの中へと足を踏み入れたものだ。
 僕と柿崎はその修道院の中を、オーディオガイドを使いながら、くまなく見て回っ
た。(どのような話を聞いたのかは覚えていないが)そして、二時間程かけて、モン
サンミッシェル内部を見て回り、最後に修道院の中腹辺りにあるテラス、またはバル
コニーのような展望台へと移動すると、手摺から身を乗り出すようにして、周囲と眼
下を見渡してみた。
 すると、遠浅の海がずっと向こうまで広がっていて、さらにその潮位が少しずつ下
がってきているような状況が見て取れた。僕と柿崎はその風景にしばらく見とれてい
たのだが、そこからはるか遠くに見える岩山に向かって、潮の引いた海底を歩いてい
る人達の姿が見えた。瞬く間に同意した僕達はその巡礼に加わることにしたのだ。
 モンサンミッシェルを出て海へと続く崖を注意しながら降りると、そこは濡れた海
底だった。僕達は靴と靴下を脱ぎ裸足になって、その海底に降りた。海底にはまだ所
々海水が水たまりのようになっていたのだが、深くても二〇センチメートル程だった
ので十分歩けると判断し、おそらくは二キロメール程度離れているだろう、その岩山
に向かって歩き始めた。
 夏とはいえ足裏から伝わる海水の感触はひんやりとつめたく、それがとても気持ち
よかった。途中何人もの人とすれ違った。おそらく岩山まで行って帰ってくる人達な
のだろう。皆、満足そうで楽しそうな表情をしていたので、まだ距離はあったが、僕
達も心躍るような気持ちになったものだ。そこから一時間くらい歩いただろうか、よ
うやくその岩山に辿り着くことができた。不思議と疲れはあまりなく、そのまま岩山
を裸足のまま上り頂上を目指した。裸足だったので、岩の上を歩くのはかなりの痛み
を伴ったのだが、ここまで来るともはや頂上を目指すのは一種の使命感にかわってお
り、なんとしてでも頂上に行かなければ、と思いで一気に登りきった。その頂上から、
いままで自分達がいたモンサンミッシェルを遠くに望むことができたのだが、達成感
と相まってその姿に改めて感動したものだ。僕と柿崎はこの岩山の頂上から見るモン
サンミッシェルに啓発されるように、あるいはお告げがあったかのように、とあるア
イデアが頭に浮かび、それを実行した。
 僕達は、今佇んでいるこの場所の足元に穴を掘り、これからの仕事の成功を誓う意
味合いを込めて、二人の名刺を埋めたのだ。そして僕達は、これから仕事で成功した
その暁にはここに戻ってきて、この名刺を掘り起こそう、と意気揚々と話したものだ。
(その名刺は当然今は土に帰っているだろうが)そしてその後、今や遠くに望むモン
サンミッシェルに向かって、何かしら大きな声で叫んだのだ(言葉は忘れてしまった
が、たしか自分達に気合いを入れるような言葉だったように思う)僕にはそのときの
写真が残っているのだがもう滅多に見ることはなくなっている。とはいえ、時々この
時の気持ちを思い出しながら仕事への活力をチャージしている。僕がモンサンミッシ
ェルを思い出すとき、それはその地へ向かう道中と、この名もない岩山での出来事が
強烈な印象を伴って僕に力を与えてくれるのだ。
(了)

 今思えば、潮の干満時間も調べることもせず、よくぞ無事に帰ってこられたと思い
ます。もし途中で潮が満ちてこようものなら、と考えるだけでもぞっとします。決し
てこの岩山巡礼がおすすめということではない旨、強調しておきたいと思います。た
だこの岩山が私の、ビジネスマンとしての精神的聖地として未だに強く心に刻まれて
いるということでご理解いただけたら幸甚でございます。




                                  以 上

(文責:パロアルトネットワークス 山西/CIGRE SCD2 事務局)