一度は行くべき海外都市(ポーランド)

2019年4月23日

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 ニュースレター No.103 (夜久様/SCD2国内分科会委員)   (テーマ:「一度は行くべき海外都市」)
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 みなさん、こんにちは。 ダイヘンの夜久です。

 ニュースレターを書かせていただくのも6回目となり、いよいよ海外のネタが無くなってしまい、他のテーマも考えてみましたがよいテーマが思いつかなかったので、今回は海外旅行経験が豊富な妻の力を借りて海外について書かせていただきます。(自分の経験でなく申し訳ございません。以下は妻が筆者になります。)

 私は海外旅行が好きで、20代の頃は主に西ヨーロッパを訪れていましたが、20年ほど前にオーストリアに行った頃から、中欧・東欧をメインに訪れるようになりました。特に理由はありませんが、西欧と違う若干の『独特の時間の流れ』のようなものに魅力を感じたのかもしれません。

 比較的メジャーな中欧、東欧を何ヵ国か訪れ、次はどこに行こうかと考えていた時。今から40年くらい前でしょうか。小学生の頃、記憶は定かではありませんが、大阪の某百貨店の『アウシュビッツ展』に行ったことを思い出しました。昭和40年代産まれの同年代の方なら、広島や長崎は修学旅行で行かれたり、また平和教育の一環で資料を見たりされた方も沢山おられると思います。私も悲惨な体験談を聞いたり、写真を見たり、またその頃は終戦記念日が近づくと戦争関連のドラマや映画も沢山ありました。人並みにそういう教育を受けましたが、『アウシュビッツ展』は違った意味で子供心にとても衝撃的なものでした。では、アウシュビッツに行ってみようと、2007年の4月半ばにポーランドを訪れることにしました。

 ワルシャワ、クラクフの歴史地区、ヴィエリチカ岩塩坑などの観光地も素晴らしかったですし、食事も日本人好みと思われます。ただ、2007年4月はシェンゲン協定に加盟していなかったので、訪れる人も少なかったのかもしれません。『アウシュビッツ強制収容所』はオシフィエンチムという町にありますが、実は一か所ではなくアウシュビッツ第一収容所(基幹収容所)、第二(ビルケナウ)、第三(モノヴィッツ)と複数あります。第一と第二のビルケナウは3~4キロの距離で、映画などでは第一と第二が混在している感があります。

 私は第一、第二を見学しましたが、有名な『働けば自由になる(ARBEIT MACHT FREI)』のゲートは第一ですし、アウシュビッツの象徴として映画などで見られる、強制収容所内まで延びる鉄道引込み線は第二のビルケナウのものです。収容所内はとても広く、資料や遺品も多く展示されています。また、バラックと呼ばれる収容者が寝起きしていた建物も沢山残っています。資料や展示品などについては、今ではインターネットでいくらでも閲覧することが出来ますので割愛しますが、私が訪れた際に感じたことは、外国人は比較的若い人が多く来られていました。

 多くは修学旅行と思しき団体、ダビデの星の旗を掲げた子供たちの団体、大学生くらいのグループなどで、リタイアした様なグループもいましたが、アジア人はあまり見かけませんでした。中谷さんという、日本人の公式ガイドさんが案内して下さいましたが、彼の話では、最近日本人も少しずつ増えてきたが年配の方が多く、韓国人などは若い人が沢山来るので、日本人の若い人にも沢山来て、興味を持って、色々知って、考えて頂きたいとの事でした。もう12年も前の事なので、今は日本の若い人が増えていると良いのにと思いつつ、昨今の社会情勢を鑑みると、やはり難しいだろうと思ったり。

 色々考えながら再びアウシュビッツに思いを馳せると、私が訪れた4月中旬は暖かく良いお天気で、辛く悲しい出来事が嘘のように、有刺鉄線に囲まれた収容所内は新緑で美しく、足元にはタンポポの花が咲いていたことを思い出し、これが時の流れかと、何とも言葉に表せない不思議な気持ちになりました。

 夫が定年退職したら、今度は二人でアウシュビッツを訪れたいと思います。

(文責:夜久/株式会社ダイヘン)